オマーン元国王と結婚の邦人 出会いはダンスホールで“一目ぼれ”

約80年前、神戸で中東・アラビア半島オマーンの元国王と結ばれた清子・アルサイドさん(旧姓大山)は結婚後まもなく、一人娘を残したまま亡くなった。その墓は兵庫県稲美町にあり、今も親戚が守り続ける。一人娘のブサイナ王女(80)は幼いころに日本を離れ、母の墓参りに訪れたのは40年前。その日、一緒に墓参りをした親戚、杉本浜子さん(73)=稲美町=は「代わりにお母さんのお墓を守っているよ、と伝えたい」と遠く離れた王女に思いを寄せた。(切貫滋巨)

オマーン元国王と清子さんの家系図

 同国と日本の関わりなどを書いた遠藤晴男さん著「オマーン見聞録」(展望社)などによると、カブース現国王の祖父、タイムール元国王が、退位後に神戸に立ち寄ったのは1935(昭和10)年。ダンスホールで出会った当時19歳の清子さんと恋に落ち、翌年に結婚式を挙げた。

 2人は神戸で暮らし、程なくしてまな娘のブサイナ王女(日本名は節子)が生まれた。だが家族の幸せは長くは続かず、39(昭和14)年に清子さんが病没。元国王は墓を稲美町に建てた後、王女を連れて日本を離れた。それ以降、王女はオマーンで王族の一員として育てられたという。

 同町は、清子さんの母親の出身地。清子さん自身も生まれて数年を稲美で過ごしたとも言われる。

 その後、ブサイナ王女が来日したのは確認できる限り、たった1度だけ。父と日本を離れて約40年後の78年9月のことだった。

 王女のまたいとこに当たる杉本千明さん(故人)の妻、浜子さんら親戚一同が、墓参りのために同町を訪れた王女を出迎えた。「背が高く、とても優しそうだった」。浜子さんは今でもその様子を覚えている。

 王女は母親の墓の前で涙をぽろぽろと流し、通訳を通じて「母の記憶はほとんどないが、お墓という形が残っていてうれしかった」などと話したという。涙をティッシュペーパーで拭っていたため、浜子さんがハンカチを手渡した。見送りに行った新神戸駅で抱擁され、「ハンカチをもらってもいいか」と聞かれたという。

 比較的年齢が近いこともあってか、「顔を合わせるのは初めてだったが、何か通じ合うものがあった」と浜子さん。それ以来、杉本家の墓とともに、お盆や正月の墓参りを欠かさないという。

 浜子さんは今年も8月16日に、孫ら家族とともに清子さんの墓に手を合わせた。「『もう一度、ここに来たい』と言っていたが、かなえられていないのは残念」。でも「ブサイナさんと会ってからは、代わりにお墓参りをしている気持ち。元気でいる限りは続けたい」と話していた。

 駐日オマーン国大使館(東京)などによると、ブサイナ王女は健在で、首都マスカットで暮らしているという。公の場に出ることはほとんどない。