新型コロナウイルス感染拡大の影響により、日本ではゴールデンウィークが「ステイホーム週間」となっていますが、メジャーリーグでは25年前に歴史的な出来事がありました。
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1995年5月2日、サンフランシスコのキャンドルスティック・パークにて、ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄投手がサンフランシスコ・ジャイアンツ相手にデビュー。メジャーリーグ史上30年ぶり、通算ふたり目の日本人選手が誕生したのです。
それ以来、メジャーの歴史は大きく変わりました。まずは何と言っても、日本人選手の評価を変えたことでしょう。
それまでは、日米野球で日本人選手がメジャーリーガー相手に活躍すると、相手チームの監督は「アメリカに連れて帰りたい」などのコメントを残して帰っていきました。しかし、それはほとんどが社交辞令のようなもの。それを野茂投手は、メジャーに真っ向勝負を挑んで評価を覆したのです。
1995年より以前、メジャーの球場で日本人観客を見かけることも、ほとんどありませんでした。それが、野茂投手が独特のトルネード投法と奪三振ショーで人気者になったことで、本拠地ドジャースタジアムをはじめ、どこの球場でも野茂投手の登板日は大勢の日本人で沸き返えるようになったのです。
その「トルネード旋風」によって、球場では野茂投手の商品が飛ぶように売れました。ロサンゼルス市内のスポーツ店だけでなく、他都市の空港の売店でも地元チームの商品に混じって野茂投手の商品が置かれました。こんな状況は、地元チーム一辺倒のアメリカではあり得なかったことです。
さらに日本人ファンの来場によって、球場の食文化にも影響を与えました。
昔からアメリカの球場と言えば、どこへ行ってもホットドッグが有名です。ところが、ドジャースタジアムに『吉野家』が出店し、箸で"ビーフボウル"を食べながら観戦するアメリカ人の姿を見るようにもなったのです。それをきっかけに、世界のビールや名物料理などが全米各地の球場で堪能できるようになりました。
一方、日本国内ではメジャー人気が沸騰しました。1987年にNHKは衛星放送スタートと同時に「速報大リーグ中継」を開始。ただ、当時のそれは2時間程度にダイジェストされた録画放送でした。