男性だとひもの部分が短く耳に掛からない(筆者撮影)
深刻なマスク不足を解消するとして、安倍晋三首相の肝煎りで決定された布マスクの配布事業に、新たな疑念が生まれている。一般世帯よりも先に布マスクを配布された介護施設や障害者施設、保育園などの現場で、「マスクの形状に問題があるので使えない」との不満が相次いでいるのだ。
そのマスクを納入したのは、厚生労働省が最後まで社名の公表を渋っていた、福島県のあの会社だった。多額の税金を無駄遣いするアベノマスクの無責任な実態とは。
〝異形〟のマスクに困惑する現場
「先月中旬に届いたのですが、手に取ってみて、『えっこれなの?』というのが第一印象でした。変わった形の布マスクだったし、1つの袋に10枚が重ねて入っていたからです。スタッフや介護サービスの利用者に1人ずつ配ってください、という厚労省からの文書が添えられていました。でも新型コロナウイルスで衛生面にとても敏感になっている今、そのまま手渡しするなんて考えられません」
困惑した表情でこう話してくれたのは、神奈川県で訪問介護の事業所を運営する男性である。4月末に掲載された拙稿「福島の無名会社『アベノマスク』4億円受注の謎」(2020年4月30日配信)を読み、連絡をくれた。
男性は、布マスクを1つずつ封筒に入れ直し、「洗ってから使ってください」と伝えて渡したという。
いわゆる「アベノマスク」といわれて思い浮かぶのは、閣僚の中で唯一、安倍首相だけが装着している、あの少し小さめの古典的なガーゼマスクだ。
しかし、男性の介護事業所に届いたマスクは、2つ折りの状態で半円形をしていた。広げると鼻と口に当たる部分が突き出た立体的な形状になる。素材はガーゼではなく、滑らかな肌触りの布を使用していた。
パッケージのラベルには、「抗菌布マスク」「30回洗濯しても抗菌効果維持!」と日本語で表記されている。ベトナムのアパレル会社が製造したマスクだった。
介護施設などに配布された布マスク(筆者撮影)
「このマスクは、耳に掛ける部分がゴムじゃないんですよ。布を折り返して縫ってあるので、伸びないのです。これが目一杯」
男性がそのマスクを装着しながら、説明してくれた。
記事冒頭の写真のとおり、耳に掛けるひもが短く、耳の付け根までしっかりと掛けることができない。さらには、耳に当たる部分の伸縮性がない。この男性に無理矢理マスクを装着してもらったせいか、数分した経っていないのに耳がうっ血して赤くなってきた。
顔のサイズには個人差があるので、大半のマスクは耳に掛ける部分にゴムなどの伸縮性がある素材を使用している。だが、このマスクは耳に掛ける部分も布。これでは顔が小さい人しか装着できないだろう。
「私の妻も一緒に介護の仕事をやっているんですけど、妻はなんとかこのマスクを装着できます。でも、私の事業所を利用している方の6割以上が男性ですから、装着できない人は多いはず。これでは税金の無駄遣いでしょう」
東京都内で訪問看護の仕事をしている女性の看護師にも、同じベトナム製のマスクが2枚配布された。
「薄くて子供の肌着のような布ですね。マスクのサイズにバラつきがありますし、長時間着けていると、耳が痛くなって泣けてくるほどです。マスクの内側にガーゼを入れて使っていますが、機能面での不安もあるので、痰の吸引や口腔ケアなどの感染リスクが高い看護では使い捨てのサージカルマスクを使っています」
SNSには全国各地の介護事業関係者たちが投稿した、このマスクに対する不満や困惑のコメントがあふれている。その多くが装着画像付きで、それを見ると実際の使用に耐えない様子がうかがえる。
つまり製造ロットや、個別の1つ1つに発生した不具合ではなく、仕様そのものに問題がある、とみるべきだろう。
ベトナム製マスクを輸入した社長の主張
国から配布された2種類のマスクを広げて、サイズを計測してみた。1つは安倍首相が使っているようなガーゼマスク。実際に装着したときをイメージして、ゴムを少し伸ばすと、全体の横幅は約33センチだった。もう1つは、介護施設などに配られた、このマスクだ。横に広げようとしてみるが、ほとんど伸びず約28センチ。その差は約5センチもあったのである。
いわゆる通常のアベノマスクと比較すると小さい(筆者撮影)
調べてみると、ベトナム製のマスクを納入したのは、厚労省がかたくなに社名の公表を拒んでいた福島市のユースビオ社が、輸入していたものだと判明した。
社長の樋山茂氏に、あらためて電話で経緯を聞いた。
──ガーゼマスクとは異なる形状のマスクを納めた理由は?
それはお答えする義務はないので、お答えしません。うちはこれが調達できただけです。以上です。
──立体的な形状にしたのは、樋山さんの考え?
ベトナムマスクは、みんなあのカタチです。
──耳に掛かる部分が伸びないが、これもベトナムマスクだから?
そうですね。
──男性が使用するにはサイズが小さいのでは?
サイズは厚労省が決めたものであって、私が決めたものではありません。
──国からの仕様書があった?
違います。うちで30種類のサンプルを出しました。SMLと耳の長さが違うものを出して、「それがいい」と(厚労省のマスクチームに)言われたものをウチが納入したんです。国が決めたんです。
──サイズに関しては、問題ないと?
それはお客さんの注文ですからね。あと、洗うと伸びますからね。
──洗うと伸びる? 縮むのでは?
うちのは一度洗っているので、縮まないです。
──ご自身は、あのマスクを使用された?
ございます。今も使っていますよ。
樋山氏は、契約の経緯はほかのメディアに全部話したので、その記事を読んで書けばいいと繰り返し言った。きっと自分の主張をそのまま書いてくれる記者は、都合がよい存在なのだろう。だが、私はその言葉を額面通り受け取ることはできない。
アベノマスク は、樋山氏のユースビオ社だけで約4億7000万円、5社総額は約100億円という多額の税金が投入された事業だ。配布されたマスクが、実際は使い物にならない、という苦言が相次いでいる以上、責任の所在を明確にしないと再び同じことを繰り返すことだろう。
ベトナムでも耳の部分は当然伸縮する
アベノマスクの形状や、耳の部分に伸縮性がなく男性には掛けづらい理由について、樋山氏は「ベトナムのマスクだから」と答えた。
果たして本当なのか? ベトナムでの撮影経験が豊富な日本人カメラマンに聞いてみると、ベトナムのマスク事情の一端がわかった。ベトナムでは、大きく2種類のマスクが使われているというのだ。
「首都ハノイの中心部などは、車やバイクによる大気汚染がひどいので、排ガス対策用として、耳のあたりまでカバーされている横長のマスクを着けている人は多く見かける。
それとは別に、薬局で売っている感冒用のマスクは、日本と大差ないタイプ。アベノマスクとして輸入されたのは、(排気ガス対策用として)たくさんデザインされている1つであって、ベトナムのマスクがすべて同じようなデザインではない」(日本人カメラマン)
その彼に教えてもらったウェブサイトには、ベトナムで売られている多種多様のマスクが紹介されていた。日本円で1つ50円から100円程度。布の柄に凝ったものもあり、日本の手作り布マスクにも似ているが、これらはベトナムでは排ガス対策用として使用されているという。
介護施設などに配られたマスクと同じような、耳に掛かる部分も布製であるマスクが、確かにベトナムでも売られていることがわかった。ただし、大半は伸縮性のあるゴムなどが使われているという。どの国でも顔のサイズに個人差があるので、当然のことだ。
それなのに、樋山氏はサイズ調整がきかない仕様で、ベトナムの会社に製造させた。可能性として考えられるのは、サイズを犠牲にした、コストダウンである。
また、以前の取材に対して、ユースビオ社にはマスクの製造や販売経験はないと、社長の樋山氏は答えている。
マスクは、「感染拡大の防止」が目的のはずである。その重要な目的を担うマスクの供給を、素人というべき会社に依頼したのは、厚生労働省だった。
厚労省マスクチームのあきれた回答
冒頭の介護施設に送られてきた、ベトナム製のマスクに添付されていた、厚労省医政局経済課の文書には、布マスクの配布に関する問い合わせ先の電話番号が掲載されている。男性には小さすぎて、うまく装着できないことが続出していることについて、どう対応しているのか尋ねてみたが、話がかみ合わない。ベトナム製の立体的なマスクの存在自体を把握していないというのだ。
詳しく聞いてみると、電話対応をしているのは、厚労省の職員ではなく、マニュアルに従って答える外部スタッフだった。厚労省経済課には、通称・マスクチームが設置されている。経済産業省、総務省、文部科学省などからの応援も加わった混成部隊だ。4月からマスクチームに加わった職員にベトナム製のマスクについて尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「介護施設など55万カ所に向けた、布マスク2000万枚は、4月下旬までに1回目の配布を完了しました。
(クレームは?)いただいていないと思いますね」
厚労省にクレームが届いていないというのは信じがたいが、もし本当だとしても不思議ではない。なぜなら厚労省は許認可や介護保険の請求などで、介護施設などに対して、絶大な権力を持っているからだ。仮にクレームを上げて厚労省ににらまれたら、事業運営で不都合が生じる可能性がある。
「ユースビオ(ベトナム製)のマスクが、個包装ではなかったというご指摘ですが、3月に調達したマスクは各社様も同じく個包装ではありませんでした。スピードを優先したからです。3月の調達分に関しては、こちらから仕様書は示していません。立体式というか、ガーゼマスクじゃない形状は、ユースビオさんだけでした」(前述の厚労省マスクチームの職員)
サイズ調整ができず、装着できない人が多数出ている、ユースビオ社のマスク。多額の税金をドブに捨てたに等しい。社長の樋山氏は、厚労省がサイズを決めたと明言していたが、実際はどうなのか。
「いちおうサイズは実物で確認して、厚労省の男性職員が何人か着けたうえでお願いしていたみたいです。皆さんにぴったりのものは、この急ぎの中でご用意はできないので、ガーゼマスクも含めてワンサイズです。サイズが(合わない)というご指摘が別途あるので、いちおう大人用として調達したものですというのがわれわれのお答え。顔が小さい方もいらっしゃるし、大きい方もいらっしゃるんで、ぴったりにはなっていないということ」(前述の厚労省マスクチームの職員)
反省することは微塵もない、という姿勢だ。さらにこの担当者は、驚くべきことを口にした。
「1回目として、約2000万枚を55万カ所の施設に配布済みなので、2回目、3回目の布マスク配布もやろうと今は準備をしています」
なお、ユースビオ社は厚労省の追加発注には応じない方針だという。その理由とは─―。
「ちゃんとしたものを納めたのに、こういう取材やらで嫌になりました。はい。国民のためにと思ってやったけど、嫌になりました。なので、みなさんのせいでやめます」(樋山社長)
布マスクはこれから本当に必要か?
くしゃみをした際、マスクの種類によって効果に違いがあることを、可視化した動画が公開されている。制作したのは、研究機関やテレビ局に可視化計測の技術を提供している、カトウ光研だ。
最も効果が高いのは、「不織布を使用したサージカルマスク」。ほとんど飛沫は漏れていない。これに対して布製の「ガーゼマスク」(安倍首相が使用しているものに近い)では、飛沫が30センチ以上先に届いている。なお、若者に人気のウレタンマスクに至っては、布マスクより大量の飛沫を通過させていた。
ガーゼマスクは飛沫が30センチ以上先に(写真上)。不織布マスク(下)はほとんど飛沫が漏れていない(写真:「飛沫・エアロゾル発生装置によるマスク機能性評価」カトウ光研より)
マスクを装着する第1の目的は、他者への感染を防ぐことだといわれているが、ガーゼマスクの効果は、決して高いとはいえないことがわかる。
一時期は、入手が困難だった「サージカルマスク」だが、今月に入ってからスーパーや量販店でも見かけるようになった。
横浜市の繁華街である関内では、洋品店に大量のサージカルマスクが積まれていた。ここの店長によると、3月上旬には、50枚入りで8000円から9000円(税抜)でも売れていた。それが今月11日時点で、2800円(税抜)。実に3分の1以下になっている。
さらに同じ横浜市内の伊勢佐木町では、中華食材店で50枚入り2200円(税込)のサージカルマスクが山のように積まれていた。
安倍首相は、マスクの下落や流通が始まったのは布マスクの配布による効果だという見解を示した。(5月6日 ニコニコ生放送での発言)
「アベノマスクを着けている人はほとんど見ない」
だが、横浜の洋品店の店長はこう話す。
「4月後半から、中国からのマスク供給が一気に増えてきました。今は他店との価格競争になっていて、毎週値段を下げないと売れなくなりました。アベノマスクの効果? 私にはわかりませんが、付けている人はほとんど見ないですよね」
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国は「介護事業所や保育園など」以外に、「妊婦用に約50万枚」「約6300万世帯の全住所」に布マスクを配布する計画だが、不良品が続出したことで配布が停止していた。
ようやく再開したものの、全住所のうち配布が完了しているのは、わずか610万枚でしかない(5月12日午前時点)。
新型コロナ対策として、これからの布マスク配布に意味はあるのか。今こそ、費用対効果を検証する必要があるだろう。